【能楽の創始者である世阿弥は、人間のあるべき姿を「花は心、種は技」と心の開けた状態を花にたとえて説いている。 哲学者ヘ−ゲルは「人間はエーテルのなかに花を咲かせ果実を実らせるために大地に根を張って生い茂る植物でなければならない」としている。 近代に入ると1960年代には大地を見め始め、ヒッピー(反体制主義)となり、人間精神を問う「フラワームーブメント」が試みられた。 が今、近代哲学の代表者であるカントの定言命法にも示された人間存在を前提に置く考え方に不安を感じざるを得ないのは自明のことである。 文明の進化によって宇宙の神秘は解明されようかに見えるが、この地球その物の存在が危うさを増している。 核の危惧、湯水のように消費するエネルギー、情報化の急速な広がりによりバ−チャル・リアリテイ(リアル・リアリテー存在の危惧)、 そしてモラルの根源的崩壊(虚無)ニヒリズムが覆いつくそうとしている社会=イン・モラリズム(不道徳主義)から、 もっと深刻さを増すアン=モラリズム(無道徳主義)への警告が点滅している現代。 我々は人間存在を超えたところで生命を考え、この惑星からの大地の声(Flower)に耳を傾け、 シャルム(無心の輝き)ある存在として未来を見つめることが必要と問われている。 国境など捨て去り、人口増加を抑制し地球のバランスと宇宙の摂理を見つめなければ、地球は衰退し人間存在そのものの危うさを増しているのだから・・・。
花の惑星の姿を肖像とした1枚でも多く描き残し、ここに存在の擬を少しでも問うことができれば幸いと考えているものである。
Tadamasa Yokoyama