花の肖像

芥子

Poppy

1991 Tokyo Japan / Oil on Canvas 1170×910
Gathered in the Golden Triangle / Property of artist

ギリシアの夢の神モルペウスは、眠らせてあげたい人のために芥子の花冠をつくったという。・・・ 人類最古の神話にも伝えられる芥子は、絹のように美しく炎のような力をもつので最も古くから人々に愛されてきた花でした。 この花の栽培はメソポタミアに発生し、バビロン、エジプト、ギリシア、アッシリア、ペルシャ、そしてムガール帝国よりインドを経て中国に伝わっています。 しかし栽培する人の手をはなれた芥子は、薬、毒となって、やがては阿片戦争までをひきおこすことになります。

19世紀、イギリスの商人によって中国に阿片が大量に流され、中国の阿片常用者は1870年には1千500万人にも上っていました。 中国ではこの常用にともない、四川省、雲南省で芥子の栽培がはじめられています。 1949年、中国では毛沢東の人民解放軍に追われた将介石国民党の李粥中将指揮下第18軍がビルマに敗走し、 此の時、約1万人が雲南省からシャン州およびラオスに逃げ込みます。 国民党軍はシャン州の少数民族に芥子栽培を強要、推進し、次第に阿片を巨大な資金源とするシンジケートに君臨するようになります。 タイ、ビルマ、ラオスの国境に帝国が築かれたのでした。これが黄金の三角地帯のはじまりでした。

芥子の花を探したのは、1989年2月のことであった。
麻薬王と呼ばれるクンサーはビルマ少数民族の独立闘争に明け暮れ、
ビルマ軍事クーデター勃発!民主化運動への厳しい弾圧最中のことでした・・・。
タイ北部メ−ホーソンよりビルマとの国境を越え、シャン州に入るルートを採る。
シャン州は中国雲南高原に連なる標高1千メートル級の高原地帯で、
タイ北部には2千メートルを越す山々が立ちはだかっている。
ここにこの山岳地帯を砦とした帝国ゴールデントライアングルが広がっている。
山の案内人はリス族の若者であった。
この複雑な山々を知りつくした若者のどこまでも澄みきった青い眼に驚く。
キャラバンは5名となり夜明け前に出発。
迷路のような獣道が続き、登りはじめは非常にきついものであった。

兵士であろう、銃を持った二人の男にすれ違う。
谷間の川には温泉が流れ、川から立ち上る白い霧に光は結晶化して辺りに散って見えた。
目的地は青い眼の若者の歩く速さにあわせなければ辿りつくことができない距離であった。
メオ族の村に着く。
村長は「上の村に最近ヘリコプターが飛びケシ畑が焼き打ちにあった」と言い、あらたな畑を教えてくれる。
そこは山の急斜面に切り開かれた畑で空からも見ることが難しい場所であった。
赤、白、紫などの芥子が見渡すかぎりに咲いていた。
山の上から収穫の歌であろうか、男たちが芥子畑に向かって歌をうたっていた。
ケシの実に傷をつけてゆく少女、黒く固まった生阿片を集める少女。
鮮やかで刺繍の入った民族衣装を纏ったこの幼い娘たちのはにかむ純真な笑顔・・・
その微笑の口もとからはお歯黒が覗かれ・・・そこはまさに桃源郷であった。

芥子にはギリシア神話のモルペウスの神にちなんで名付けられたモルヒネをはじめ、阿片、ヘロイン、ゴデイン、ナーコティク、 デメロールなど約20種以上ものドラッグとなる成分が含まれています。この眠りと忘却の花は芸術のうえでも重要な役を果たしてきました。 イギリスの作家バイロンやフランスの詩人ボードレールや作家ジャンコクトーなど、多くの作家や芸術家が阿片チンキ中毒となっていますが、 その服用量は驚くべきものであったようです。1821年、論文〈一阿片喫者の告白・即ち一学者の伝記よりの抜粋〉を 発表したのはトーマス・ド・クインシー〈1785-1856〉は、日に8000滴もの阿片チンキを飲んでいたと記しています。 クインシーはこの論文によって一躍世界的な注目を浴びることとなり、これを契機に彼の後半生の作風といえるゴシック文学が書かれています。 また、当時の王立美術院であった画家コリンズの長男としてロンドンに生まれ育ったウイルキー・コリンズ〈1824-89〉も、日に12人分ほどの阿片を服用していた。 彼の著書〈無名〉の主人公は阿片チンキ自殺を考えていますが、彼自身にとっても命とりの薬であったのでしょう。 時代は、中世の暗黒、醜悪な世界での美しいおとぎ話への憧れとしての文学・ゴシックの復興期でした。 ルネサンスの光明に輝いていたイタリアでは、アルプスの向こう側で起こっていることなどは「蛮族」と呼ばれていました。 イタリア人の言う〈gotich〉ゴシックなる語は、ゲルマン人の呼称Gothの概念を踏襲したもので、ギリシア、ローマ文明の燈を踏み消し、 破壊と無知で暗闇に閉ざされた蛮族たちの造りあけた美を示すものでした。

Tadamasa Yokoyama